被災地ボランティア
ー鶴ちゃんレポートー

大阪全労協傘下の組合である大阪教育合同労組組合員である、鶴丸さんが4月11日に大阪を出発し13日から岩手県大槌町にてボランティア活動を
行っています。現地レポートが届いていますので、随時紹介します。

ー第2期鶴ちゃんレポートー

6月7日火曜、
 朝、上瀬(男)さんに昨日参加した瓦礫処理隊60人の話を聞きました。陸前高田は
大槌以上に荒野で、団地の4階の窓が割れて水が来てました。午前中には道路脇の瓦
礫を100m余り片付けたそうです。大型トラックのホイールやトビラ、畳などを3、4人
がかりで運んだそうです。午後からは田んぼの中の船のエンジン、魚網、ブロック壁
を片付けたそうです。
 朝から岩手県土木事務所に行って高速道路無料証明をもらいました。
 元教員チームは先週宿舎にきた歯医者さんからもらったハブラシセット1000個を25
の避難所に配る計画をたてて、避難を回りました。お寺に行ったらもう避難所ではあ
りませんと言われ、吉里吉里小学校に行ったら、前に歯ブラシはもらいましたと言わ
れ、吉里吉里中学校の仮設住宅に行ったら、みんな働きに行って誰もいません役場の
福祉課に行ったらと言われ、歯ブラシセットを福祉課に置いてきたと言って、大槌高
校避難所に戻ってホッとしてました。
 昼前に花巻市湯本中学校の1年生達が社会活動で来ました。中庭で焼きソバや焼き
お握り、あら汁を作って、どうぞどうぞと4、5人のグループで配ってました。それか
ら舞台に上がって、翼を下さい、believeなどを合唱して最後に、雨にも負けずの歌
を先生のバイオリン演奏でハミングして終わったらたくさんの拍手がありました。私
がマッサージしてたお母さんは、今 私の 願い事がかなうならば 翼が ほしい〜と、
歌っていました。

写真は津波が来た時に若い消防団員達が扉を閉めようとして流された5mの防波堤です

Subject: 6月1日水曜

 今日の大槌高校体育館避難所の遠野まごころネットのリラックスコーナーは、整骨院、中国整体、肩たたき隊、肖像画、ヨガジャズダンス、小中学生学習室指導、民謡アマ歌手などのボランティア12人でにぎやかでした。

 岡山から来た戸田さんは中国整体やりますよと言ったら、次々に8人も来て、目が すっきりした、鼻の通りが良くなった、肩が軽くなったと評判になりました。お昼に民謡を歌ってみたらと言ったら、すたすたと白衣のまま唄いました。岩手県の外山節 を〜わたしゃ外山の日陰のわらび〜と唄い始めるとぞろぞろと各部屋から人が集まってきました。炭坑節のリクエストで唄い始めるとお母さん達が踊り始めました。日向 木挽き唄を〜山で子が泣く山師の子じゃろ〜と唄ったら、仕事をやる気になったと男 の人が話しかけたそうです。

 肩たたき隊員は30から60代の女性達がストーブの近くでお喋りしながらやってました。3時過ぎて舞台でヨガとジャズダンスが若い人や年配の人もやってました。肖像画も25人来て日経新聞から取材が来ました。6時からの学習室には、きのう4年生1人だったのに今日は、小学生3人中学生5人がきたと元教員団 は嬉しそうでした。結局僕は2人治療して、みんなのマネージャーでした。

 夕食は近 所のお母さんが持って来てくれたヤマウドのてんぷらとノビルの味噌付け食べが美味しかったです。 付記、大阪から持って来た衣服、前掛け、靴下、化粧品はきのうあっという間にさばけました。


Subject: 5月31日火曜

 今朝、遠野まごころネットの朝礼に7時半に参加。百名以上がすでに集合。いつもの林崎さん、元自衛隊員現整骨院長、が長靴の安全靴を示して、先だけ鉄が入ってから足首はクギがささるから安全でない、3つのA、あわてない、あせらない、あきらめない、おまけに、ありがとうがいわれるなどと名調子で話してた。

 今日は大阪のケアマネージャーの松下さんと角さん(西成合同労組)とで行きました。松下さんは、肖像画と似顔絵を描きますと書いたスケッチブックを整骨院コーナーに置いてたら、すぐ次々に、描いて下さいと25人ぐらいは来ました。

 前に娘さんと孫2人をなくしたお母さんが来ました。写真には40すぎの大原麗子似の女性が2人の 子どもと楽しそうに話していました。一人の子は大槌小学校の校庭で見つかりもう一 人はまだ見つかっていないと話ながらお母さんは涙を流していました。それを聞いてが痛くなって涙が出てきました。出来上がった絵を小さな額縁に入れて松下さんが渡すと、何度も何度もありがとうと嬉しそうにお礼を言ってました。絵の力ってすご いなあ、なんだろうと思いました。松下さんも心で泣きながら描いたと言ってました。人が想いを込めてかいた絵は人をなぐさめてくれるようです。似顔絵を描いても らった大槌日本舞踊協会会長も自分の絵を見ながらありがとうございますと言って受け取っていました。終わりごろには子ども連れの若いお母さんたちもきました。自分が今生きていると実感出来るのかなあと思いました。

 私は7人治療しながら上瀬さん(南河内支部)に治療法を教えました。午後からきた松浦さん(元大阪支部)は子どもコーナーで本を読んであげていました。そして6時から8時過ぎまで、きのう高校から使用許可をえた2階の生物教室で松浦、上瀬の元教員チームは学習指導の予定です。


Subject: ボランテ日記5月30日月曜

  朝、一ヶ月ぶりに大槌高校避難所に3人で行きました。いつものストーブ仲間の顔が見えず、体育館の角はテレビコーナーになって年配のお母さん達とおじさんがテレビを見てました。顔見知りでなかったので整骨院コーナーからテレビをみてました。すると前の女性の患者さんが、先生よろしくと言ってきて治療をやりました。それから次々にきました。ひる過ぎていつものストーブ仲間がきたのでしゃべりました。

 仮設は7月に入れますね、と話したら、いやいやわからんと言われました。すると、8月に町議会選挙があるけど町長になり手もない、町職員の59才が2月には挨拶回りし てたけど津波が起きたら出ないと言って引っ込んだそうです。情けないなあと言った ら、先生なって下さいと言われました。他に誰かいないんですかと言ったら、一人自民党の県会議員の若手がいるけどうんと言わない、と言いました。帰ろうかとしたら、片足がない元マグロ漁船員から声をかけられてマッサージをしてたら、3ヶ月もたつのに町会議員も見舞い挨拶にもこない、釜石市との合併問題の時には、25人もいて自分達の定員が減らされるからと反対して、25万ももらって小遣い銭ににしてる、 と怒っていました。

 帰り道大槌の人がかわいそうになりました。ひょっとして立候補 がなくて再選挙になって誰かから頼みがあったら出てやろうかなと思いました。


Subject: 4月26日火曜

 今朝、いつものように遠野まごころネット副代表の荒川さんに挨拶して、きのうは 16人やって疲れました、と言うと、ありがとうございます、無理しないでと言って、両手で抱えるようにして背中をさすってくれました。先週2回もNHkテレビで、遠野ま ごころネットが放送されたせいか、百人くらいが玄関前に集まっていました。今日の リーダーはボランティアに、思いやりをしてると思い上がるな、いやな人もいる、と 言ってました。かわいそうだと思われたくない、ということかなあと思った。地区に 別れて家の中の片付けなどに出発して行きました。

 大槌高校に行くと、朝から次々にきました。時間表を作り20分、5分休みで朝から5 人、昼からは、7人やりました。避難所担当の大槌町職員に、今後も、遠野まごころ ネットから整体マッサージ者を送るという、荒川さんの話を伝え、体育館内前隅に、まごころネットの黄緑のゼッケンに、5月美顔エステ、6月整骨院ボランティア、マッサージ器は自由に使って、と書きました。あと2日、これで一安心です。

 昼過ぎに車で遠野市のauシヨップに行きたいけど車がないとおばあちゃんに怒って いる若者がいたので車を貸したらスーパードライをもらいました。ストーブ仲間にあげたら、ありがとうと言ってすぐぐっと飲んだので心配になりました。そして遺体を 見つけたら3千円だと話してました。それを聞いて、海ゆかば水く屍の歌を思い出しました。

写真は朝8時集合のボランティア。


Subject: 4月25日月曜 4月25日月曜。

 今朝5人で車に乗りました。京都の元中学校長、東京の琵琶の葉温熱 きゅう師とフィリピンから来た日本人の父親と息子さんです。大槌の親戚の見舞いと 避難所ボランティアです。フィリピンでミネナルウォーターを水道からろ過して販売 してたが、従業員に車を取って行かれたりしてどうするか考えてるそうです。

 大槌高校に着いたとたん、朝から次々に患者さんが来て、6人しました。

 70代女性は 体全体が疲れている、血圧は低いと言い、地震が起きてからだという。首を治療し始 めたら、話をし始め、地震の時は近所の店の人と税務署に行った帰りだったそうで す。車が大きく揺れたのでパンクしたと思ってたら、海岸通りのスーパーから大勢の 人が駆け出していた、家に帰って見たら棚からは何も落ちてなかったのでほっとし た、(丈夫な家を作るという遠野の大工さんに作ってもらった)、2階の息子に、地震だ逃げれよ、と言ったが、大丈夫だ、と言って逃げなかった。仕方ないので自分だ け外に出て高台のお寺の境内に走った、後ろを見たら自分の理髪店も近所の店も流さ れていた、と話してくれた。夫は2年前にガンで亡くなり、一人になった、もう一度 元の所でやろうかとも思ったりするが、どうしたらいいか分からないと話された。僕 は、元の所なら住むのは別にしたがいい、まず町役場に電話して、元の所に作れるか 電話した方がいい、みんな仮設に住むのだから仮設の中で作れないか、相談した方が いいですね、と言った。

昼からも次々に来て合計16人しました。

写真は治療中の私。


Subject: ボランテ日記4月24日日曜  
 朝みんなを見送って、博物館に行き、遠野市が岩手の内陸と海岸を結ぶ所で、馬夫達が各地の出来事や話をしてたので、座敷わらしやカッパや馬嫁などの話が残っていて、柳田國雄が遠野の佐々木鏡石から聞いて、遠野物語を書いた、と説明書きにあった。そして長崎県千々岩町の関という人が協力したとあり、びっくりした。それから鍋倉城跡に上ると、なだらかな山々に囲まれた遠野市が一望できた。

Subject: ボランテ日記4月23日土曜  
 今日は午後から共生ユニオン岩手の会議があるので、午前中4人で終わった。  
 1番目の50代の女性は、首肩こり、全身疲労と言ったので血圧を計ったら165と98だった。境界型高血圧だった。肩こりはいつから、と聞いたら、10年来だと言った。全身疲労はいつから、と聞くと、津波が起きてからと言った、海岸にいた時、津波だと半鐘がなったので高台に走った、後ろを見たら防波堤を大きく超える津波がみえた、車の中から、助けてえという声が聞こえて、今でも聞こえてきて眠れない、涙もまだ出せない、ガンバロウ岩手と言われても、気力も湧いてこない、と言われた。そうだね、津波や声が聞こえてくるのを何度も何度も思い出して、だんだん思い出さなくなったら涙も出てくるかもしれないねと言った。治療終わりました、と言うと、ああ軽くなった、ありがとうと言ってかえりました。 
着々と進む仮設住宅建設現場

Subject: ボランテ日記4月22日金曜  
 京都の先生は子ども好きで、剣玉を教え、うまいっと言う声と、やれたっと言う子どもの声が体育館を明るくしてます。  
 午後からきた70代の肩凝り右股関節痛のお母さんは、地震の時に海岸の商店で買物してて、すぐ高台の家に駆けて、途中畑のおじいさんを助けに行ったがいなかった、高校生の孫息子が助けていた、近所の家族と高台の家で自宅にあった玄米を食べて2日いて、避難所に行ってから家にもどったら、高校の孫娘の楽譜がバッグから取り出され引き裂かれたり小物箱が散らかされ泥棒に入られていた。昭和8年(1933年)の三陸津波が起きたので20mの高台に建てた家も流されていた、家族は無事だったそうです。  
 世話役から仮設住宅受付の発表があった。世話役に聞くと、予定では6月中に全戸完成だが、7月中には完成するそうです。2年間家賃のみ無料、エアコン付き、電気水道有料です。隣の釜石市では入居が始まっています。資料では、受付は4月25日から5月6日まで、必要戸数1990戸、建設中216戸、とあり6月には避難所から出始めるのかと思いました。  
 終わり頃に、10年来のむち打ちで首痛の30代を治したら何度も何度も頭をさげられた。 
 最後の漁師30代々男性の右坐骨神経痛を治して治療を教えたら納得納得と頭を下げられ、帰る時にお世話様でしたと挨拶したら体育館の前でストーブにあたっていた20人ぐらいが一斉にありがとうと言われて、とても嬉しかった。

 今も手付かずの釜石市商店街。

Subject: ボランテ日記4月21日木曜  
 今日初めてきた70代女性は治療が終わってから、40代の娘と孫娘がみつからず、今年入学の可愛かった孫息子が小学校の運動場に流されていたのが見つかった。娘の夫は漁に出てて助かった、生きる気力が出て来ない、と話してくれた。  
 60才代女性が、肩凝りがひどいんでと言ってきた。首、肩をやりながら、いつからなり始めまたのですか、と聞いたら、ずっと前からと言った。肩凝りは真面目な人がなりやすい、と言ったら、よくわかるね、と言われ、お医者さんにもかかったが治らなかった。実は夫が酒を飲んだら殴ったりされていてびくびくして肩凝りになった気がする、津波で夫が死んでほっとしたが、町で夫の乗っていたような車を見たら体がすくんでしまう、と話してた。いやな記憶はだんだんなくなって体も良くなりますよ、と言った。
 今日は10名。

大槌高校門下の桜、明日入学式

Subject: ボランテ日記4月20日水曜   
 今日から体育館でした。高校事務室で再開を挨拶。体育館入口のストーブで温まってたおじさん達に挨拶。場所はどこでしたらいいですかかと聞いてたら、隣のストーブにいた6人ぐらいのおばさん達から、前の方がいいよ、と言われて、左隅でベッドを用意した。  
 ストーブのおじさんが、誰か来たら次々くるよ、と言ってたらすぐにおじさんが来て、またおじさんが来て、それからおばさんが2人来て、お昼になった。  
 午後から男性8人女性1人。車イス片足の高齢男性は肩凝り右足凝り、初めは車イスでやったが難しく、ベッドでやろうとしたら通りがかりの愛知の女性看護師も手伝おうとしてくれたが、本人が片足で立ってさっとベッドに寝たのでびっくり。岩みたいな肩をどうにか緩めたら、軽い軽いと腕をぐるぐる回して帰った。次に腰椎ヘルニアで左足坐骨神経痛の男性。腰を曲げても伸ばしても痛みは変わらないというので困った。マッケンジー法をやったら、やったことがあり痛みが軽くなってたが途中で止めてた、と言うので毎日寝る前に5回やるように言った。  
 5時半に、ご飯だよと声がしてみんながゆっくり並んでた。今日も安置所に行ったが見つからなかったと聞こえた、何人もの患者さんから、ご飯食べてけ、と言われ、遠野につくってっからと言ってたら、おばあちゃんが、これ食べれとさっと置いた行った。困ったがいただく。大きなお椀の団子汁で美味しかった。はしがないのでジュースパックでスピーンをハサミで作った。ティッシュで吹いてベッドに置いてたら、知らないおじさんが、食べたかと言って持って行ってくれた。午前中にボール紙の柱とカーテンで家族部屋が作られてた。ただいまあと声がして若い女性が仕事から帰って来てた。


Subject: ボランテ日記4月19日火曜  
 今朝大槌高校に行ったら、 医師会とAMDA救援医療団のグループから、遠野市まごころネットでやってることに苦情を言われたので、大槌仮設町役場福祉課へ行き、すべて保健所に任せてると言われ、大槌ボランティアセンターでは仲良くやってほしいと言われ、釜石保健所で保健福祉環境部長が仲介連絡をしてくれることになったが、後から苦情を言ってきた明治鍼灸大学の教授から電話があり、お互いルートは別だが避難者のためにがんばりましょう、ということになった。お陰で治療できませんでした。  
 明日から再開。帰りの笛吹峠で吹雪で車がスリップしたので釜石市内外を通ったら電柱が倒れ信号もダメでした。  
 以下は先週朝日に投稿したかダメだった原稿。
 大阪から車で柔道整復ボランティアに岩手県遠野市の社会福祉センターに来て、毎日大槌高校の避難所に行ってます。余震は毎日1回は感じます。3日目の朝体育館で釧路市からのホランテイア派遣団体の事前調査の人が来て色々聞かれて答えました。宿泊は、体育館で無料。食事は、持参。後何人泊まれる、百人。と簡単に答えたが、避難所の要望は何かは簡単でなかった。大槌高校も行く前は千人と聞いてたか、今は400人、授業開始の来週は200人になると受付で聞きました。僕自身の患者も整骨院と変らず首肩痛、腰痛などで、高齢者以外は家の片付けや仕事や仕事探した行ってます。隣のボランティアで来てる家屋調査士や土木関係の人は、阪神震災の時よりも家屋の片付けや整理が遅れてる、震災から一ヶ月経ってるのに進んでない、人手が足りてない、現地にも来ないでインターネットで片付けなどは終わったとかデマが流されてると怒っていました。僕の今日来た40才代の患者も1階が潰れて2階で住めるように妻と二人で片付けていると言ってました。行政は遠野市のように少なくともボランテアの宿泊場所を保障すべきです。被災地周辺のホテルどはマスコミや役所関係者が押さえ、ボランティアは何でも自前で、野宿してくれという姿勢は間違ってます。

Subject: ボランテ日記 4月18日月曜  
 今日は、琵琶の葉温圧療法さんと大槌高校に行きました。今日は避難所の移動日なので、第2体育館から第1体育館へ移動したり、中央公民館に移動で運動場はごった返して、午前中は誰も来ず。  
 午後から高三男子柔道部が来て、家の苗床の土運びで腰が痛くなったと言うので、温圧療法をしてから、腰仙関節と仙腸関節などを治療した。震災の時は柔道部で学校にいて、家は山奥の小槌でぶじだった、今年は3年だが先輩が整骨の学校に行ってるのでどうするか考えてるとのことだった。次に40代の夫婦が来て、水産市場で働らく妻は鼻炎が治るか、と言ったので、念のためノートを見てしたら、通りが良くなったとびっくりして、交通事故の首も凝ると言うので治療した。夫は、震災当日は港の方で工事をしてたが揺れが尋常でなく、車で高台に逃げたが、一度家に戻ったが、誰もいないので高校に逃げてたら、家の1階だけが流されて行くのが見えたそうです。同僚は車に乗ったまま山側に流され後部座席に、バイパス道路が見えたのでドアを開けて泳いで助かった。会社も社長も流されたので息子が会社をつぎ、避難所から仕事に行ってるとのことでした。  
 朝のNHkラジオで岩手県は7月のうちに必要な仮設住宅1万数千戸数を建設、毎週千戸ずつ建設中と言ってた、と言うと、大槌はまだだねぇ、と言われた。

Subject: ボランテ日記 4月15日金曜  
 朝来た67才女性は肩こり頭痛で昨日も来てた。家が流され夫は行方不明で、毎日遺体安置所を尋ね歩いて、先日顔や服装が似てる人を見つけたが、金歯の形が違ってる感じなので、流された歯医者の技工士さんを探してる、と話してくれた。お父さんだったらいいね、と言うと、今頃来て遅いとおこるかもしれん、と言ったので、そんなことあらへん、お父さんの好きな酒でも持って行けばいいやねん、と言うと、そうやねビール好きやったからビール持っていくわ、でも酒屋も流れてしもたし、と言ったので、ほんなら遠野から持って来てやるわ、と言うと、そこまでしてもらわんでも、と言ってニコッと笑ってくれました。お母さんは関西なまりやね、と聞くと、ニコニコして、そうやねん中高と大阪育ちやねんと、やっぱりうどんは細目で昆布と鰹だしやね、と関西談義が続いて、最後に一段落したら四国四十八ヶ所巡りをしたい、と言うのを聞いて治療を終えました。  
 6人目の46才男性は家の1階が潰れて2階を生活出来るように慣れない力仕事で足腰がくたくたと言うので、ゆっくりマッサージと指圧をしていたら、すやすやと寝てしまいました。終わりましたと言うと、ぱっと目をさまして、なんどもありがとうございますと礼をされました。

Subject: ボランテ日記4月14日木曜   
 朝5時ごろ体育館の天井のバスケットゴールがカシャカシャと揺れた。震度5ぐらいだった。  
 助手Aさんが阪大に帰るので代わりの人を本部に頼んだら、真宗大谷派の60才代の女性僧侶がきた。先月から悩み相談などをしていたと言うので、受付兼悩み相談もすることになった。  
 12時までに中高年女性が肩こり腰痛で3人、悩み相談で解雇された男性が会社はひどいと繰り返し言ってので、帰りに共生ユニオンを紹介した。午後からヘルニアで2ヶ月入院したが腰が苦しいという、マッケンジー法をやったら腰を反っても痛くなくなった。体育館でやってたスポーツトレーナーさんが来たので技術を聞いた。  昼は高齢者以外は片付けや仕事に行って4時から戻ってくると言うので、時間を午後7時まで延長した。  
 中学生の女の子がお喋りしに来て、今度入学する吉里吉里中学に色んな制服が送られてきてるので、みんなが色んな制服を着るのかなあ、と言ってた。井上やすしの吉里吉里共和国の話を聞いてる感じがした。   
 その後、骨盤、首肩こりの女性や、料理屋が流された肩肘膝の中高年女性と左肩痛の夫が来た。最後は首と鎖骨下筋、肩痛の女性だった。計10人。  
 教室に家族が住んでいて子どもが廊下で遊んでいたが21日入学式で高校再開されるので400人の半数が移動とのことでした。


Subject: ボランテ日記4月13日水曜
 朝から、遠野市社会福祉協議会に行き、共生ユニオンの案内で、ボランティアと宿泊登録をして隣接の体育館に荷物を置き、12時に阪大生と、大槌高校避難所へ出発。笛吹峠の七曲がり八折れを下ったたら、なんやこの光景はと思った。絨毯爆撃されたように屋根や鉄骨の残骸が積み重なり、船や車がひっくり返っていた。高校に行く道の両側に壊れた家の残骸があり、1時半に到着。  
 受付をしたら3階美術室に案内され、ベットやハンドマッサージ器をおくと、校内放送がされて三人、四人と患者さんがきた。高校の腰痛の先生、脊柱管狭窄症の高齢者、坐骨神経痛、肩こり頭痛など。1人20分ぐらいでやっていく。家の片付けで足腰が痛い人もいた。右でだめなら左を押す、それでだめなら真ん中を押す、冗談を言ったら笑ってくれて、ほっとする。  
 最後に大槌北小学校の30代の先生だった。3月11日の6年生の授業中、校舎が大きく揺れて今までのと違うと感じて子どもと一緒に運動場に出て、他の学年が整列人数確認をしてたが、校長に間に合わないから、高台の大槌高校に行きますと言って走り始めたら、他の学年も続いたので全員が助かった。教員の車はみんな流されたそうです。2年前に安全担当になり、消防士のアドバイスを聞いて、それまでは運動場に整列して終わってたのを、高台の高校まで300m走るようにしてて良かったとも話してくれました。  
 教科書も何もない、と聞いた時に、教育合同労組から持って来た理科教材を思い出し、プレゼントしますと言うと校長を連れて来たので、運動場で渡しました。今年から1年担任なので、粘土セットの箱を見たら、嬉しいと言ってくれました。あと乾電池セットも校長がありがとうございます、と言って受け取ってくれました。


Subject: ボランテ日記4月12日月曜  
 きのうは、朝10時に教育合同事務所で学用品4箱を受け取り出発した。11時に弟の家に着き、風呂に入り、ぐっすり寝て、朝6時に出発。  常磐道は途中で、ガードレールが鉄板だったり、道路が波打って車揺れたりした。自 衛隊の装甲車が災害派遣と貼っていた。途中迄は車は一杯だったのに東北道の方へほとんど行って、ナビ大丈夫かあなと思ってたら勿来で通行止めで一般へ行くて、段差注意箇所が多くなり渋滞し、1時間ほど我慢すると常越道に入り、道奥の山の桜や桃の果樹園をみながら阿武隈高原Pで一休みしてたら、自衛隊の空挺団の車輌が数台止まり、迷彩服の若い隊員がカンコーヒーを買っていた。雑誌売場に隊長らしき人がさっと来て福島の地図を持ってレジへ行った。  
 早い昼食にかき揚げソバ五目飯を食べたら汁が黒かった。テレビで原子力保安院の能面風の広瀬さんが、チェルノブィリの放射性物質の1割だが最悪のレベル7に上げる、(人の健康に影響する)と説明してた。大変だが冷静に対応しなければと思った。午後2時10分蔵王Pで休憩中に車が大きく揺れた、風が強いにしては揺れるなあと思ってNHKを聞くと、福島は震度6だった。3月11日から1ヶ月も経ってるのに、千年に一回の大地震は余震もよく続くなあと感心。仙台を過ぎると50k制限、段差注意が続く、時々緩やかな波乗りのようにくるがゆれる、よく見ると道路が波打ってたり、布が裂かれそう様になってたり、細い裂け目の箇所も二、三箇所あった。阪神大地震の時は高速道路折れたりしてたことを思 い出した。岩手県奥州市付近で道路補修してた。
 5時過ぎに北上市の共生ユニオンいわて組合事務所に到着。10時間運転したが、春のモヘア毛糸のような東北のなだらかな山々を見ながらきたので、疲れを感じなかった。共生ユニオンの事務所は岩手県詩人会の看板もあり、書記長は宮沢賢治風だった。
 明日からは遠野市社会福祉協議会事務所で泊まり、来週からは自治会館にとまり、阪大の学生や東京からの人達と避難所回りをするとのこと。