【被災地を観て・聴いて・考える=宮城編】
               スタディ・ツア−に参加して

 
 石巻市釜谷地区の川沿いに位置する大川小学校は、全校児童108人の7割に当たる74人が死亡、行方不明になりました。今は復旧した鉄橋も3ヶ所が崩壊しました。海岸から4kmに位置する学校へ、川を遡上してきた津波が襲ったのです。
 学校を保存するか解体撤去するかの結論は現在まででていません。 
 

 
 この橋を、県外ナンバ−のダンプが忙しく行き来しています。ゼネコン成金が誕生していると聞きました。
 
                              子ども達の慰霊碑
             
  
雄勝町庁舎あと                        一時テレビでも紹介された、復興の象徴。仮設店舗 

 
ここはどこでしょう?                   更地になっていますが、女川原発のオフサイトセンタです。
 
震災直後の宮城県原子力センタ(手前)とオフサイトセンタ   山をへだてた湾の向こうに女川原発があります。危機一髪でした
    
安倍首相が視察にこられたトレ−ラハウス。復興の象徴     リーズナブルなお値段です。というか、他にホテルは見当たりません。
   
女川港 下の写真が震災前                    中には車がつっこんだまま。


                              やはり、下の写真が震災前
  

                           
  
震災で亡くなった七十七銀行職員の慰霊碑    
 高台から観た銀行跡。確かに地震から津波まで充分な
時間があり、この高台に避難したら助かってた命。
高台からは、こちらに逃げろと声をかぎりに叫んでいた。
銀行のマニュアルでは、屋上に避難となっていた。    

訪れた時に頂いた チラシ 

七十七銀行女川支店被災者家族会ブログ

  
高台にある病院の一階。この建物の2階までたどりつれば助かっていた命
  
奥に見えるのが女川駅の工事現場。海まで500m程か、   ちょっと休憩。頂いたパン。コ−ヒ共々美味でした。
  
石巻を展望できる日和山(ひより山)石ノ森会館のある中州は1m陥没  震災直後は流されて何もなかった。現在は
居住制限地区で人はすむことができない。
   
石巻に5基のガレキ焼却炉がたっている。          鹿島、清水、西松、竹中etc連合ゼネコン                             
   
                             途にはコスモスが
  
思いかけず、震災直後から大阪全労協も復旧作業にお手伝いできた、東松島東名地区のすみちゃんの家を再訪することが
できました。復興はまだまだ、半ば、みなさん疲れていますとのお話
代表の伊藤さんが、いままででの過程をつづられた本をだされました。  「証言」3.11宅労所の真実
連絡先は Npo法人のんび〜りすみちゃんの家 Tel(0225)88−2691 fax 88−2938へ


  
ここまで津波が来たんだよ、と
  
高台移転が決まって線路が撤去されました。       防潮堤のかさ上げ工事


  
ソ−ラパネルの街として事業化              東名で亡くなった方の慰霊碑。ここには中国人研修生の
                            名前も刻まれている。

難しいことを優しく案内いただき、 優しいことを深く考えさせられる旅でした。


http://www.ne.jp/asahi/miyagi/zenroukyou/

(宮城全労協ニュ−ス)で、このツア−を企画した仲間の詳しい報告がご覧いただけます。

「福島を忘れない!」   7月30日記事
同 「〜福島訪問記・後編 8月18日記事 
同 〜(その3)宮城編  8月26日記事