大阪全労協
高江派遣団報告集会
1月17日(火)18時30分
                   於 エル大阪南館72

 政府のアメリカ従属の象徴として、より鮮明にそして、より暴力的に現れている沖縄、高江でのヘリパット強行建設。
 昨年12月18日から21日まで大阪全労協のメンバ−5名が現地闘争に参加してきました。みなさんへの周知が遅れ、文字どう
りの緊急集会となってしまいました。申訳ありません。しかし、まずは報告する。そして次のステップにつなげるという意味で報告
です。
  
 沖縄の負担軽減はず〜と言われていることですが、米軍基地が全国の74%から70%(沖縄本島の18%が15%に減ったことを
もって)安倍さんは胸をはります。沖縄の問題は民主主義の問題です。地方の民意をどれだけ尊重するかの闘いです。
  
 写真はヘリパットN1の入口付近のテント。「わたし達非暴力です。言葉の暴力も含め、だれも傷つけたくありません」と座り込み
のガイドラインの明記しています。夜の集会では、派遣団は1人ひとりが連帯の発言をしました。大阪機動隊の土人発言と維新の松井
知事の擁護発言は大阪に住む者として看破できません。恥ずかしいことです。司会者は復帰前に那覇市長をつとめられた瀬名亀次郎さ
んのお孫さんです。「高江ヘリパットが天然記念物のクイナ鳥の住む豊かな森を破壊し、爆音で住民生活を脅かすようになる」とゆっ
くり優しく話しかけていただきました。
  
  ゲ−ト前では座り込みの時にみんなで肩を組み、合唱しました。
派遣団の仲間のひとりはわざわざ作業着を大阪で購入して、機動隊による「ごぼう抜き」に備えましたが、今回は政府の式典前であっ
たせいか肩透かしとなりました。JR北海道労組ほか大勢の仲間がバスを列ねて連帯の意をあらわします。
 派遣団が到着するまえのことですがPC8哨戒機が重大事故。軍は「軽微な事案」と二日たってから県にメ−ルを送りました。
 辺野古の沖でオスプレイ墜落大破。不時着発言に現地は怒り心頭です。派遣団は立ち入りはできませんでしたが、遠くにヘラヘラ笑
いながら回収作業をする米兵をにらみつけるしかありません。アメリカに付いていくのが唯一の道で、沖縄だけに日米地位協定の負を
押し付ける政府、そして関係ないよ、とあまり興味を示さない本土のわたし達。思考停止から脱却しなくては。
  
 拘禁状態がつづく、反対闘争の要の1人である山城さんと稲葉さんの釈放要求集会に参加。この日弁護士資格をもつ社民党の福島さ
んが、那覇地裁に接見に視えてます。「辺野古違法確認訴訟」で最高裁が不当判決 高江を後にした22日には政府主催の「北部訓練
場返還式・祝賀会」とオール沖縄会議主催の「オスプレイ撤去を求める緊急抗議集会」が開かれました。44年前、1972年5月15
日のあの日、「本土復帰記念集会」が開かれたときは、委棄されたのではなかったとの希望がありました。今回の返還式を別の側面から
みれば、東高江の集落を囲むように新たに建設した6カ所のヘリパットをフルに使って、オスプレイの本格的な訓練が始まることを意味
します。返還面積の4%の減少は、必要でなくなった土地の返還であり、新たな基地建設による機能強化が日米の思惑であることをウチ
ナーンチュは誰でもが理解しています。

  
 今後の沖縄と連帯することを考えるに、時期にもよりますが派遣団がまいった12月は年間をとおして一番寒い時期です。それから
は、どんどん暑くなります。日差し対策、それと雨対策が必要だということです。点在する基地を廻るのに移動距離を考えて、夜のお
酒はほどほどにと・・・それとテントでの宿泊はお年寄りには少しつらい。夜になれば冷えるので、全労協の皆さん?は宿泊先を確保
したほうがよい、とのアドバイスもありました。
  
 沖縄に永続的に基地があるとことは、ヤマトンチュの戦後責任の問題です。
  
「博治は昨年12月26日に名護署から那覇の拘置所に移送されました。相変わらず弁護士以外の接見禁止はつづいており、わたし
達家族も会うことが出来ません。博治の様子は弁護士を介してしか知ることが出来ない歯がゆさを感じながら日々を過ごしておりま
す。拘置所に移されてから、ようやく長めの靴下やハンカチなどの衣類が差し入れできるようになり、先日ジャンパ−を差し入れを
してきました。食べ物に関しては外からのものは、一切差し入れができず、拘置所にある小さな売店で売っているものしか差し入れ
できません。博治に新鮮な野菜、サラダ、果物などを食べさせてあげたいのですが、かないません。ただ長い獄中生活で、限られた
ものしか口にできないという制限のなかで、博治の食生活に変化が観られます。いまで苦手で食べきれなかったヨ−グルトや納豆を
食べられるようになったようです。それだけ自分の体力の維持に気をつかっているのが、ひしひしと伝わってきます。また博治は狭
い独房のなかで、腕立て伏せ、腹筋運動を毎日かかさずやっているようです。昨年12月19日の血液検査で、白血球値が3000
まで下がっていたので、感染症をふせぐために体をきたえていることがわかります。弁護士をはじめ仲間のみなさんのお力ぞえに、
家族一同感謝しております。博治が一日も早く帰ってくることを、みなさんと共に待ちたいと思います。」
 以上の文が、山城博治さんのご家族から、報告集会当日ネットに、投稿されていました。