負けんばい熊本
                                  遠い熊本を想いながら

郷里、熊本で大震災がおきるなんて。20年前の阪神・淡路大震災。先の東北大震災。そして直下型の新潟中越地震以来、熊本に
も活断層があるのは県内の方々も知っていましたが、まさか。30年以内に地震がおきる可能性は0、7%だった筈。震災後には
電話が通じにくくなるのは経験ずみ。陸の孤島となり、熊本、大分両県を中心に地震が襲い、多大な犠牲者がでました。さらに、
いまなお余震、あるいは3度目の本震に不安な日々を過ごしておられる方が、大勢いらっしゃいます。

 
                             城への出入りは禁止されている。
23日熊本日日新聞のみだし                負けんばい熊本
今も南阿蘇のあの大きな橋は壊れ行き来することはできない。震源の一つ益城町周辺には渋滞ではいることもできない。親戚、友
人、知人に連絡をとると異口同音に2度目の震度7では死を覚悟したと言われていた。「来るな!余震が続くから」と言われまし
たが、居ても立ってもいられない気持ちが強く、インフラが通じたので駆け足で熊本市内を訪れました
 
友人は子どもの頃は何とも想わなかったけど、熊本城の惨状に胸が痛むと話していました。築城から400年。西南戦争でも持ち
こたえた城は築城当時の「宇土櫓」以外は大きな傷を負ってしまった。いえ、宇土櫓自体も形状はとどめていますが果たして、続
く余震に耐えれるのか。
 
加藤清正の像。成人して清正なんか朝鮮侵略の急先鋒の武断派。当地の人を拉致して築城につかせ、築城後は秘密を守るため皆殺
しにした極悪人と偏向した思想になってしまった私ですが、落ちた瓦を観ると悲しみがこみ上げます。熊本城は別名「銀杏城」と
も云い、秋には銀杏の葉でおおわれます。市民の癒しと誇りの場所です。清正のことを当地では、「せいしょう候」と呼び江戸時
代のほとんどを統治した細川家などより崇拝されています。学校は城から観た方角で校名が付けられることが多く、私も「銀杏城
東、朝夕に♪清正候の恩徳を♪~」と歌ってましたっけ。
 
                              中心街のビル。避雷針をクレ-ンで支えています。
 
最近の熊本のイメ-ジは、「くまモン」でしたが当面は震災になってしまいました。

 
友人は医療従事者で、エコノミ-症候群のことは熟知している。1度目の地震のあと余震が当面づづくと覚悟したけど、後付けのよ
うな本震以降、家で休むことができず車内泊が続いています。
私が居たころは耐震補強はされてなかったと思う。グラウンドでは避難の自動車が並ぶ。現在まで小中学校で授業が再開された所は
一ヶ所。
 
町の中心地、花畑公園。ボランティアの方々が長蛇の列を作っておられます。若い方が多いですが、壮年の方もいらっしゃいます。
ありがたいことです。
 
                   ボランティアに登録すると、バス・チンチン電車が無料となります。移動の主力です。
 
代表的な川、「白川」氾濫が多かった川を清正が整備しました。文字どうり川底が見える清い流れを市民は楽しんでいました。
橋脚の補正がすでに進んでいます。生活用水路は枯れてしまいました。
 
「頑張ろう!!熊本」とあります。言われなくても充分頑張っている。公務員バッシングは、どこにでもあるけど、今楽して金も
うけしている公務員がどれだけいるだろう。日常でもサ-ビス超勤は当たり前で、このような非常時には24時間、体を酷使する
ことを課せられるのも公務員、逃げ場はない。阪神や東北でも過労死や過労自殺があいつぎました。責任感が強い人が危険です。
 
待機中のボランティアの方。聞いてみました。「少しでも何かできないかと」またぞろ絆という言葉を政治家は発しますが、貸し借
りの道具ではありません。絆は、手段ではなく目的です。自分が犠牲になっても助けたいと思う気持ちが被災者には伝わります。
 
インフラの中心、電気・通信・水道は市内では、比較的早く復旧しました。熊本の水源は豊富にある阿蘇からの地下水です。水の都
とよばれ殆どろ過する必要がなく、2回ほどこすことで水道水として供給されていました。今はにごりがあり、飲料水としては少し
躊躇します。大きなス-パ-、デパ-トは安全がまだ確認できていないなめ休業です。

 
今回の震災ではコンビニの復旧が早かった。阪神・淡路大震災のころとくらべれば、雲泥の感があります。                 

 
熊本の名所の一つ、水前寺公園。江戸時代のほとんどを治めた細川家が数代にわたり築いた庭園です。
入口の大鳥居。戦国武将、細川幽斉の没300年を記念して明治の終わり頃に建立。継ぎ目のない御影石でつくられ、当時は西日
本一といわれました。戦争、台風、地震、雨、風に耐えたみごとなものでした。
 
市内の小学生は遠足で必ず訪れます。地下水がたえまなく庭園に吹き上がり清い水を讃えていました。地盤のひび割れでしょうか、
地下水がいまは上がらず水面がむき出しです。
 
数百匹の鯉は一ヶ所に集められています。普段は50cmある水かさが20cmもありません、耐えてくれ。

 
ゴミの回収がまだ満足にできていません。帰阪したころ、周辺の自治体から処理を引き受けてくれるとの申入れのニュ-スを聞き
ました。ありがたい。

 
                              ホテルキャッスル、市内の老舗です。
 
建物の応急危険度判定が急がれます。国土省、内閣府、県外の方に遠慮なく聞いてみました。3日交代で判定を急いでいるとのこと。
市の気持ちとしては今月中に作業を終わりたいとのこと。正直ありがたい。2度目の「震度7」なんて誰も予想できない。78年の
宮城県沖地震のあと、81年建築基準法の改正があり、震度6強から7でも倒壊しないことが建築の条件となりました。81年以降
の建物や耐震工事がすんだ建物であれば部屋のなかでも大丈夫となっています。一応は…
早く安心が欲しい、家で休みたいが被災者が今要望することです。

  
                              熊本市役所 
   
役所は仮休憩所となっています被災証明を求める市民は2~3時間まちです。
 
 
市内の中心街 
 
物流は回復しつつあります。

 
                              宅急便もじょじょに復旧していまます。
昨年末、首相は「緊急事態条項」を憲法にいれる改正から始めると明言し、余震のなか、官房長官はこの条項を憲法にいれたいと口
にしました。呆れ返る前に信念がある。利用できるのなら何でもやる、リッパです。でも軍事費と防災費の予算比率はどうなのか、
判りやすいウソです。また、復興支援宝くじを発売すると、収益の一部は復興支援にまわされるとのこと。なんかカチン。

 
友人と別れる際、奥さまが傘を持っていくようにと勧められた。一円にもならないプライドなんか捨てちまえ!という関西の気風
にそまりきっていると想っていたけど、「肥後もっこす」片意地はる気風が私にも残っていたのか、断ってしまった。すぐ後悔した。
東北の気質とも相まって熊本の人はガマンする人が多い。もう我慢しないで!無理をしないで!
今は、はげまし、人をなぐさめる時期だけど、早く悲しみをはきだして、心の奥で喜びをあらわせるように。やすらぎを与えてく
れた震災前の熊本の大地に感謝しつつ
                                         文責 ユニオンぜんろうきょう 宮島