戦争法案阻止 国会前抗議行動報告
 

     9月の17日(木)・18日(金)の両日、戦争法案反対のための国会前行動に参加してきたので
    報告いたします。                        大阪全労協事務局長 竹林隆
 

 17日、朝大阪を新幹線で立って昼前に国会前に到着。まだ、午前中のためか、地下鉄国会議事堂前駅で降りても、警察による地
下鉄出口での規制はなかった。しかし、別のいやな問題があった。それは、雨。たしかに天気予報でこの2日間は雨と聞いていた。
普通だったら雨の時は傘、となるのだけど、私は、ふだんはともかくこういうデモ行動の時はむしろ傘を持たずに雨合羽でしのぐこ
とにしている。その方が身体の動きが拘束されないからだ。地下鉄出口を出ると少し雨がぱらつき始めた。カバンの中に忍ばせてき
たカッパを取り出して装着する。
 
そしてまず、いつも全労協の集合場所となっている憲政記念館前に行くと、すでに何人かの方が来ていた。国会内の状況をうかがう
が、前日からとくに大きな変化はないようだ。野党がそれなりに抵抗を続けているとのこと。ただ、東京の全労協の仲間とは私はほ
とんど面識がないので、お名前はわからない。11時、13時、15時というふうに一定の時間になると、主催三者による集会が始
まる。集会といっても国会正門前の車道でできるわけでもないので、正門前の道路を横に長く伸びた歩道のあちこちに大音響のスピ
ーカー設備がしつらえられている。警察もこういう部分には手出しをしていないようだ。
 
午後になって、雨なので出そうかどうか迷っていたのだけど、出さなかったら持ってきた意味もない、と思い定めて大阪全労協のの
ぼり旗をカバンから出してポールに取り付け、持って立っていた。この旗を持っていると、それを見つけてか、全国一般のEさんに
声をかけてもらう。集会の最初と終わりにはコールをするが、いつも「戦争したがる総理はいらない」のところで私は「総理」を
「首相」と言い換える。「総理」とは「総理大臣」の略だが、その「総理大臣」の「大臣」とは、古代天皇制の中から出てきた概念
だからだ。天皇に対する臣下の代表としての「おとど」だ。
 
午後しばらくたってから、雨脚が非常に激しくなってきて、すでにカッパの中のGパンの膝から下、それにスニーカーの中はずぶ濡
れ状態。そういえば、旗を持って立っていたり、たまに、その場所を離れて国会正門前交差点の辺(夕方からSEALDsが集会をする
場所)から、さらに交差点の反対側(憲政記念館側が国会に向かって右側方向なのに対し、交差点から左側方向)の歩道にも足を延
ばしたりしていた。正門前では7月に来た時もそうだったけど日本山妙法寺の僧侶たちがずっと経を唱えている。この日本山妙法寺
は三里塚闘争のころからずっと平和運動に立ち会っている。左側方向を歩いている時、千葉県で教育現場の少数派労組をやっている
Yさんと出会った。他にも、その関係の仲間が何人かきているらしい。
 
午後をある程度過ぎてくると、深まる雨脚にもかかわらず、続々と人々が永田町駅方面から、霞が関駅方面から詰めかけてくる。
ただ、何度かの集会の中での主催三者のうちの「総がかり行動実行委」のTさんの発言は気になるところがある。この前日の闘いで
起きた13名もの不当逮捕の事実に関連して言及されたものだが、不当弾圧した方が悪いのか、された方が悪いのか、主客転倒した
ものの言い方だと感じた。

 
さて、そういう集会でのコールの連続と、自分たちの組織の居場所での待機とを続けているうちに、この日の行動が夜の何時に終わ
るかわからないので、とりあえず国会内で膠着状態が続いているのなら、ひとまずホテルにチェックインだけでもしておこうと思い、
一旦国会前を離脱した。
 
少しでも安いホテルをネットで探したので国会近辺からは電車で20分ほどかかるところ。ホテルに行きチェックインだけ済ませる
とすぐさま国会前へ取って返す。ほんとはシャワーもしたいところだけど、それをするともうホテルを出る気力もなくすだろう。体
にムチ打って、ずぶ濡れの靴下とGパンのまままた電車で国会前へ。
 
17時半ごろ国会前に着くと、教育合同のOさんと落ち合う。聞くと、何と参院特別委で強行採決させられたらしい。ちょっとでも
国会前を離れたことを少し後悔した。しかも、そのやり方をネットの画像で確認すると、何だ、この人の山は?(翌日の新聞の記述
によると「人間カマクラ」と名付けられたらしい)
 
このころにはすでに何人もの顔見知りと出会う。大阪からはほかにも教育合同のNさんやSさん、電通合同のAさんとも会った。
また、全労協中央の中岡事務局長もこのころには国会前にきていて挨拶をしておいた。
 
18時30分より、人出もぐんと増えてもう国会前は押し合いへし合いとなったところで、集会が始まる。主催者挨拶や国会議員に
よる議場報告でも、強行採決に対する怒りが溢れていた。「これは強行採決ですらない。強行採決モドキだ」との声も。
 
ここでちょっと参加者の間にどよめきが広がった。「少し発言させてほしい、とのことで俳優の石田純一さんが来られています」との
アナウンスがあったからだ。マイクをとった石田純一は、この間の戦争法案についての政権の姿勢に疑問を表明し、「個別的自衛権は
大事だ」と言いつつ「戦後70年平和が続いたことを大事にしたい」と発言した。このあたりの歴史認識と自衛権の問題は、今後大い
に議論すべき論点だ。それでも、後半で「戦争は、文化ではありません!」と言い切ったときには、あちこちから笑い声がおきた。も
ちろん、彼自身の過去の<名言>(迷言?)「○○は文化です!」を自らパクった発言だからだ。自分の言葉をもギャグに利用するあ
たり、ある意味なかなかの根性である。
 
20時ぐらいまで抗議の国会前集会が続けられる。もうこのころには、国会正門前は身動きできない状況で、おまけに雨。自分の格
好も惨憺たる状態だ。けれど、前日の大量の不当逮捕者を出しながらも民衆の側が国会前の車道を実力で解放して人々で埋め尽くし
たことを権力側もふまえたようで、この日は、一段と鉄柵が強化され、カマボコ(警察機動隊のバス)がビチーッと隙間なく歩道沿
いに停車していた。そんな空間で何度も何度も何度も何度も「アベはやめろ!」「戦争法案絶対廃案!」のコールをあげ続ける。
 
20時を過ぎたあたりで主催者から、まだまだ長丁場になるだろうからここでいったん全体の集会は収束する、SEALDsを中心とした
人々は引き続き、この国会前で、その他の人々は参議院議員会館前に移動する」とのアナウンスがあり、私たちも全労協の仲間とと
もにそこに移動した。
 
そこでもさらに抗議のコールを続けたが、本会議をめぐる状況がなかなか見えてこず、どの情報を聞いても長丁場になるだろうとの
読み。午前中から雨の中をずっと立っていたので、あしたもあることだし21時過ぎにNさんや私はいったんホテルに引きあげるこ
とにする。Oさんは翌日早朝の飛行機で帰阪するそうで羽田空港に移動するまでの間、もう少しここで粘るとのこと。そのあと、ホ
テルに戻ったが、付近には食事をできる適当な店もなく、一件だけ空いていたスーパーで弁当を買って帰ってホテルの部屋で食べた。
しかし、それよりもずぶぬれになった身体には、温かいシャワーがうれしい。
 
さて、翌日18日もホテルから真直ぐに国会前に向かう。9時過ぎに着いたが、すでにそこには中岡事務局長も来ていた。昨夜以降
の国会情勢を確かめるが、本会議が10時から開会らしいということを聞く。
 
午前中も基本的には全労協がいる憲政記念館前にいるのを基本としつつ、ときどき、各ポイントの状況を見にいく。11時の集会では、
共産党、社民党、民主党の国会議員たちがその時々の国会内の状況を報告してくれるが、もう、本会議が開会され、議長問責決議案、
中谷防衛相問責決議案などが次々と提出され、否決されていくようすが報告される。
 

ここで素直な疑問がわく。なぜ、野党はフィリバスターと牛歩戦術をなぜ駆使しないのか、と。フィリバスターについては、自民党
から毎回毎回の決議案ごとに審議冒頭に必ず発言時間を10分以内に制限する動議が出され可決されていっているのだ、と説明される。
けれど、そんなもの、無視して延々とやればいいのだ。違憲の法案を違憲の政権が強行するための動議などそれも違憲の産物だ。
 
牛歩戦術は、とくにそういう動議もなかったのになぜ野党は行使しないのか?! これも翌日の新聞解説によると民主党などは「国
民が支持してくれるかどうかわからなかったから」と言い訳しているらしい。ああ、そうか、そうですか。そんなに腰が引けていた
ら、ハナから怪物自民党に勝てるわけなんてない。牛歩をそれ自体の単独の戦術として目的化したらダメだ。民衆の国会外での闘い
と一体として院内で闘う―その戦略の下、牛歩を積極的に位置づけるのだ。
 
それを唯一やってくれたのが、山本太郎。山本太郎は牛歩戦術だけでなく、その上を行く行動も見せてくれた。これも翌日以降、
ネット世界では「パフォーマンスに過ぎない」と叩かれていたようだが、そんな叩きをやる人間よ、じゃあお前は、山本太郎のよう
にTVで全国中継されている国会の中で彼のように心からの叫びとともに訴えをする度胸はあるのか、と聞きたい。単なるパフォー
マンスだけであんなことはできない。
 
この日(18日)の午後になると、もうようやく雨も上がり始めてきた。集会とコールの合間に、全労協の集合場所のそばにある
憲政記念館で、しばらく同じ教育合同のNさんと、筑豊の話やSEALDsの話や、かつて彼が組合書記長であった頃の話を久しぶりに
じっくりとできた。Nさんは、いわば、私の労働運動上での得難い先輩の一人だ。
 
だんだん夕方が近づいてくると、また人が多くなってきた。気のせいか、昨日よりも多くなるペースが速い気がする。みな、口には
出さぬが「その瞬間」が徐々に近づきつつあるのを感じ取っているから、きのうは来れなくとも今日は何としてでも来よう、という
思いが滲み出ている。そんなときに全労協の仲間と一緒にいると、全国一般のWさんが、大阪全労協ののぼり旗を持った私の写真を
撮ってくれた。全国一般のHPにも掲載するらしい。それでも何かの賑やかしでお役にたてるのなら、ありがたい話だ。そんなとこ
ろに、電通合同のMさんから連絡が入り、18時ごろにはこの場所に来ることができる、とのこと。そりゃよかった、落ち合いまし
ょう、と答える。
 
このころから私の心の中にある思いが生じてくる。それは、せっかく来たのだけれど、もう今日はホテルをとっておらず帰らなけれ
ばいけない。だから、憲政記念館の定位置ではなく、正門前交差点で集会状況や道路解放をめぐる国家権力とのせめぎ合いも実際に
立ち会いたい、というものだ。それで、国会正門前交差点に移動する。
 
そうこうするうちに、18時半からの集会が始まる。やはり、石田純一登場。それはともかく、やっぱり、歩道と車道との間には
二重の鉄柵と機動隊のカマボコによる三重の阻止線がある。あちこちで抗議の声が上がる中、突然、歩道と中央車道との間の一番
路肩よりの一車線だけ、向こうからデモ隊がやってくるではないか。どうやら一部分、鉄柵が突破されたかもしくは主催者と警察
との談合による「開放」かどちらかだろうが、人々が通れるようになったようだ。だから私も人並みとともに、一旦桜田門方向に
行ってからもう一度その開放された車線に入って、国会正門前をめざした。戻ってきたころには、桜田門よりの国会前交差点の一
部分というより、そこから正門前までの鉄柵がすでに撤去されていた。簡単に状況追認するぐらいならはじめから規制するな!
 

どうやら、しばらくは動かないようだ、動きがあるとしたら日付が変わってから、という情報が流れる。集会の時の議員報告を聞い
てもそういう意味のことを言っている。だとしたら、もうどこかの時点で見切りをつけて東京駅に向かい、新幹線に乗るしかない。

雨があがりそうであがり切れないうっとうしい天候の下、20時ぐらいまで行動に参加したが、もうここらで、見切りをつけないと
ズルズル明日の朝までここにいる羽目になってしまう。時間と身体状況が許すなら本当にそうしたい。けれど、足が疲れてきた。さ
っき、こむら返りも起こった。ということで、篠つく雨の中、身動きとれず近寄ることのできない中岡さんとWさんに目線と手ぶり
で離脱の意思を伝え、頭を下げてから、地下鉄の駅に向かい、東京駅に向かった。
 
おまけに、疲れていたので新幹線に乗ったらすぐに寝ようと思って指定席を探したら、すでに最終便まで全列車満席。となると残る
方法は、自由席で乗車するのみ。ホームに出ると案の定、そこには長蛇の列。結局乗った電車も車内の通路には端から端まで立って
いる乗客の列が続く。さいごになって、京都と新大阪の間だけ十数分、座ることができた。
 

以上が2日間のざっとした報告だけど、ふりかえってみると、もっと労働組合らしい闘いができなかったのかと考えさせられる。
具体的内容はいくつかあるだろうけれど、少なくともこれで終わりではない。それどころか、社会はますますひどくなっていく一方
なので、どうすれば打開できるか、労働者らしい闘いは何か、もっともっと答えは厳しく問われる時代になってくる。いつまでも、
個人の頑張りだけにおんぶしているようじゃいけないだろう。

仲間とともに考えていきたい。

 
全国各地で戦争法案に対する抗議行動がありました。大阪でも自民党府連への抗議行動が連日・・・
                                「戦争法」成立に反対する大阪教育合同労組声明